天正15年3月、まず弟の豊臣秀長が、約1万5000の兵を率いて小倉に到着。毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家らの軍勢と合流し、九州東部から南下しました。一方、秀吉自身も大軍を率いて九州に入り、西側から島津領へと進軍します。

 東西から迫る豊臣軍は、圧倒的な兵力を誇りました。

 まず、秀長軍が高城を包囲。そこへ島津義久・義弘兄弟が救援にやってきて、根白坂の豊臣軍陣地を攻撃しました。しかし、豊臣軍はこれを撃退。島津軍は大きな損害を受け、戦況は決定的に島津氏の不利となりました。

島津氏の降伏と九州征伐の終結

 相次ぐ敗北を受け、島津義久は、天正15年(1587)4月21日、家老の伊集院忠棟を秀長のもとへ派遣し、降伏を申し出ます。

 秀吉は当初、島津氏を徹底的に討伐する考えでしたが、秀長が降伏を受け入れたため、最終的には講和を認めました。

 5月8日、剃髪した義久は、薩摩の泰平寺で秀吉と対面し、正式に降伏します。その後、抵抗を続けていた島津義弘も、義久の説得を受け、5月22日に秀吉に降伏しました。

 こうして、九州征伐は終結し、島津氏は、薩摩・大隅を中心とする領国を安堵され、完全に滅亡することは免れたのでした。しかし、一時は九州全土に勢力を広げようとしていた島津氏にとって、これは大幅な後退でもありました。

『豊臣兄弟!』より(C)NHK千利休(左、演:吉岡秀隆)、豊臣秀長(右、演:仲野太賀) (C)NHK 拡大画像表示